MICの歩み
1989年の創業から、通信技術とともに。
流通業界のITを切り拓いてきた、35年余りの歴史をご紹介します。
MILESTONES
沿革
創業から現在までの、主な歩み。
1989
平成元
- マイクロ情報通信株式会社 設立
1990
平成2
- 地上系TVオークションシステム開発
1991
平成3
- パソコン通信を利用した中古車販売管理システム開発
1996
平成8
- インターネットサービスプロバイダ事業開始
1997
平成9
- 走行管理システム開発
1998
平成10
- 映像オークションシステム開発
- 衛星系オークションシステム開発
2002
平成14
- 入札ネットシステム開発
2004
平成16
- リアルタイムネットオークションシステム開発
2006
平成18
- 動画配信型リアルタイムネットオークションシステム開発
2007
平成19
- ASP構築フレームワーク「MARC」開発
- 「MARC」による基幹業務システム開発
2009
平成21
- 「MARC」による販売管理システム開発
- 本社を御茶ノ水へ移転
- ASPサービスの設計・開発・提供の範囲でISO9001を取得
2014
平成26
- 町屋事務所を開設
2015
平成27
- 社名を「マイクロ情報通信株式会社」から「株式会社MIC(エムアイシー)」に変更
- ASPサービスの設計・開発・提供の範囲でISO27001を取得
2019
令和元
- 西日本営業所を開設
2024
令和6
- 本社を神田へ移転
2025
令和7
- リユース事業部創設・岩本町事務所開設
- 浜野 陽介 代表取締役に就任
35TH ANNIVERSARY INTERVIEW
35周年 インタビュー
創業者が振り返る、MICの35年。通信技術と歩んだ、流通ITの歴史と理念。
MICは1989年(平成元年)に創業して、2024年で35年になります。今回のインタビューでは、大きく分けて2点お伺いしました。
1点目は、会社紹介の沿革に記載のある内容について。現社員はほとんど知らないので、創業以来の35年間を振り返って頂きました。2点目は、社長がエンジニアとして働き起業する中で理念として掲げている「自社製品にこだわる。従業員の技術の切り売りはしない」について、なぜこういう考えになったかを伺いました。
まずは1点目、創業に至るまでの経緯を教えてください。
大学を卒業してから、製薬会社系列のシステム開発会社にシステムエンジニアとして入社し、その後会計事務所に転職して同じくエンジニアの仕事をしました。その事務所で会計の基礎知識を学びましたが、2年ほど経った時にフリーランスのエンジニアとなり、その会計事務所の方の紹介でカシオの代理店から仕事を紹介して頂く事になりました。
当時カシオを含めて様々なメーカーからオフコン(オフィスコンピューター)が出ていて、メーカーごとに言語や動作が違っていて大変苦労した事を覚えています。そのカシオで働いていた時に出向いた先が、当時の東京都中古車卸売事業共同組合(後の株式会社JAA)でした。そこで開発したのが、出品車や会員の管理を行ういわゆる業務系システムです。
そもそも中古車取引やオークションの仕組みなど、それまで接する事のない仕組みだったので驚く事や苦労する事が多くありましたが、当時この業界でも先駆的な取り組みと注目されていたので非常にやりがいを感じていました。
富士通機電社(現:富士通フロンテック)のせり機とも通信をする必要がありました。この頃は、今でこそ当たり前である「パソコン同士が通信を行う」事が珍しかった時代でした。この頃に通信技術について鍛えられたと思っています。この経験が創業時の社名である「マイクロ情報通信」の由来になりました。
通信の速度というのは、当然今の比じゃ無いですよね。
2400bpsとか1200bpsというレベルだったと思います。富士通機電製せり機との通信は同期通信(BSC手順)で、その接続ではお互い(業務システムとせり機)共に大変苦労した事をよく覚えています。
具体的にどういう苦労がありましたか?
まずは繋いで通信してみる。しかしうまくいかない。何故だ?と、とにかく試し試しやっていました。その頃の経験が、自分自身エンジニアとして相当鍛えられたと思います。
手順としては決まったものはあったがそれ通りになっていなかったとか、せり機のコンデンサを変えたら直ったとか、とにかくハマるような事が多かったと記憶しています。通信がうまくいかなかった時は、原因を解明するためにカシオからも人が来て大ごとになったこともありました。
JAAでの開発を終えてからはどうされたのですか?
JAAでのシステムが終わってから1年くらい別の仕事(会計システムの開発)をしていました。その頃に、当初JAAがあった足立区の大谷田から江戸川区の臨海町に移転する事になりました。昭和58年(1983年)の事です。この時にJAAの業務システムをカシオのものから富士通製で作る事になりました。富士通のKシリーズというオフコンです。
その時に、以前カシオで作った業務システムを全て作り直す事が出来ないか、JAAから直接私に依頼したいという話でした。
当時30歳前だと思いますが、相当重要なミッションが任されたという事ですよね?
日々どこにニーズがあるかを探求して、クライアントが本当に必要なシステムを提供しようと常に心がけてはいました。富士通製のコンピューターを1から理解しなければならないのは大変な事だと思いましたが、私は喜んで引き受けました。
その頃、会社を設立されたわけですね?
はい。前述のJAAのシステム構築を受注するにあたり、会社を設立する必要がありました。当時は私1人の有限会社でした。
当時は多くのオークション会場がポスコンに切り替えていたので、引き合いも多くあったのではないですか?
はい。確かに引き合いがありましたが、TVオークションの開発を打診されていて、そちらに専念をしていました。
1990年(平成2年)TVオークションシステム開発とあります。TVオークションシステムってなんでしょうか?
この頃、モデムを使った通信が解禁されました。この通信を利用してオークション会場に応札を届けるという技術です。通信を利用する応札システムは当時オークネット社もサービス提供をしていましたが、これは毎週の出品者情報をレーザーディスクに焼いて配達するという方法でした。
そこで、通信を利用して出品車情報を提供する仕組みを作ってはどうかとJAAに提案しました。それを日本で初めて作りました。これがJAA-NET(ジャネット)です。これからはコンピューター+通信の時代になると確信をしていて、まさに時代の最先端を行く開発に携われている事に喜びを感じていました。
ちなみにJAA-NETがスタートした平成元年(1989年)に株式会社に改組し、マイクロ情報通信としています。
その後開発したのが1991年(平成3年)「パソコン通信を利用した中古車販売管理システム」とありますが、これはどういったものだったのでしょうか?
JAAの組合員だったとある中古車販売店から、オンラインで出来る業務システムを作りたいという話をもらいました。UNIXのサーバーを入れて、各店舗からパソコン通信(モデム)でエミュレーターを使ってサーバーに接続するようなシステムです。店舗にあるパソコンが端末になるというものでした。
当時、店舗間で情報が共有出来る販売管理システムというのはほとんどありませんでした。当時のOSはMS-DOS。今のようなグラフィックインターフェースもありませんでした。
利用する人も、それなりのリテラシーが無ければ使えないのではないでしょうか?
そんな事はないです。通常の業務を行うような事務員であれば使えるようなシステムにしました。
その後1996年(平成8年)インターネットサービスプロバイダ事業を開始したとありますが、これはどういった事業だったのでしょうか?
JU埼玉の出品リストをWEBで検索出来る機能を作りました。インターネットの黎明期だったので、まだそういったサービスはほとんど無かったと思います。
ちょうどWindows95が世の中に出てきた頃ですね。一般的にインターネットが使われ始めた頃ですよね?
そうですね。ただ現在では想像も出来ないくらい回線は細かったので、残念ながら使い勝手はそこまで良いものでは無かったと思います。
その後、現在でもサービスが続く走行管理システムの開発がスタートします。当時の話を教えてください。
JAAは独自で自社の出品履歴と付け合わせて走行メーター改ざんのチェックを行っていました。それをJU埼玉が見学しに来ました。当時のJU埼玉は坂戸と岩槻の2会場にあり、メーター巻き戻しもかなり行われていたそうです。これを防止すべくJU埼玉がJU関東甲信越連絡協議会(関連協)に話をして、どんどん参加会場が増えていきました。
当時の走行管理システムは、出品データをFTPで送信してしばらく待つとチェック結果がFTPに置かれるという、リアルタイムでは無い形式をとっていました。その後、走行チェックをかけて待てば結果が出るというリアルタイム返答形式に機能改善を行いました。
この頃、様々な企業が独自で走行メーター管理システムを構築しようという動きがありましたが、1つのデータベースに情報が集約されなければ走行チェックは出来ない、メーター巻き戻しという問題に対処が出来ないという事で、各組織のリーダーの英断があり、1つの走行管理システムとして普及する事になりました。
走行管理システムは現在までずっと保守開発が続いていますが、この頃、1998年(平成10年)に衛星系オークションシステム・映像オークションシステムという新しいサービスが立ち上がります。
その当時はインターネットも出てきたし、回線速度も上がったし、出来ることも増えていました。ただし回線はやはりあまり速く無かったので苦労をしました。その中で衛星インターネットサービスを使っていたのがこの衛星オークションシステムです。
衛星インターネットの利点は2点。1点目は、外観・出品表の画像をリアルタイムに配信する事が出来ます。衛星通信であれば約30Mbpsの容量を確保出来るからです。2点目は、マルチキャスト配信が出来ます。参加者には一斉に同じデータが配信される為、可能な限り会場で表示されている情報と同等のものが配信されます。
このサービスは2006年で終了しました。
映像系オークションシステムについて教えてください。
以前のオークション会場では、バイヤー席の前を車両が通り(引き回し)、それを見ながら応札するのが一般的でした。それが現在の形(会場前面のモニターに車両画像を表示する形)になり始めた頃です。当時珍しかったのですが、JU埼玉が引き回しを辞めて映像オークションを始めました。その時の会場内の検索システムの構築を行いました。
その後2004年(平成16年)リアルタイムネットオークションシステムの開発を行います。
IT革命を経て、世の中のインフラ環境も飛躍的に向上してきて、満を持して、今まで構築してきたオークションシステムの仕組みをインターネットをベースにした技術に作り変えて、USS社のインターネットライブを開発しました。2005年、USS神戸会場での接続を開始して現在に至ります。
2006年(平成18年)には動画配信型リアルタイムネットオークションシステムの開発とありますが、この開発のきっかけはなんだったのでしょうか?
この頃に行った海外視察で、マンハイムオークションのシステムを見ました。画像もあまり綺麗ではなく、これでオークションが出来ているのかという感想でした。なので帰国してすぐに同等のサービスの開発を行おうと思い着手しました。
この時期、すでに中古車を手競りでオークションを行っている会場は少なかったです。在宅からの応札で相場よりうんと高い金額で落札される事もあって、システムが接続されて応札が入る事とは無縁だった手競り会場では大変喜ばれました。
この頃から、中古車以外の業界に対してもシステムを提案するようになりましたね?
インターネットが普及するようになって、各業界から問い合わせが多くなってきました。そこで気が付いたのですが、中古車のオークションは色々な業界から注目されて熱心に研究されていること。そして、その中古車の世界で長年オークションに携わってきた事が、信頼のおける企業として評価していただけたのかもしれません。
そこで、基本的なオークションシステムをパッケージにしてお客様に提供し始めています。大事なことは、パッケージシステムを納品して終わりではなく、逆に納品後が本当のスタートだと考えています。システム増強やリプレースまで長く付き合える関係性を目指しています。
冒頭2点目の話題、「自社製品にこだわる。従業員の技術の切り売りはしない」について、なぜこういう考えになったかを教えてください。
自社製品にこだわるという点については、歴史を振り返ると「通信」というキーワードが共通しているかと思います。通信・インフラは常に進化をするので、それに合わせた製品作りが出来てきて、それが自社製品という形になっているのだと思います。
「従業員の技術の切り売りはしない」についてですが、最初に入った会社は派遣と請負両方を行っている会社で、私自身は請負開発の部門に入りました。当時は1つのメーカーでOSが5つも6つもある状況で、それに合わせて技術を習得して徹夜してでも納品する、というような事が起こる状況でした。案件が変わったら今まで覚えた知識が使えるわけではなく、また新たに勉強をし直さなければならない。とてもではないけれど一生出来るもんじゃないと思いました。
当時、システムエンジニアは30歳が定年とも言われる過酷な職業でした。MICを立ち上げたのは、システムエンジニアが定年まで勤められる会社にしたいという思いからです。
また当時の会社での派遣ですが、派遣されていた人員が時々会社に戻ってきた時に疎外感を感じてしまうという「人貸し業」に問題を感じました。私自身は派遣されたことはないですが、周りの人達を見ていると、自分には派遣を生業にする事は出来ませんでした。
最後に、MIC社員及びこれから入ってくる新しい人に一言お願いします。
まずは、やりたいことを諦めないでやり続ける人になってほしいと思います。諦めてしまったら、そこで終わってしまいます。
また私自身はAIの研究を行っています。AIの研究は40年も前から行っていて、いずれビジネスにならないかと考えていました。機械の性能が上がっているし、まだまだやれる事はたくさんあると思っています。